当社の前身は、銅製錬時に発生する有害な亜硫酸ガスを、硫酸として回収し、有益な肥料(過燐酸石灰)を製造する目的で設立された「住友肥料製造所」です。肥料の製造を開始した1915年末、社員はわずか約160名でしたが、それから100年、現在では、連結従業員3万余名を有する世界有数の化学メーカーへと成長しました。この100年にわたる当社の歴史を俯瞰すると、およそ30年ごとの3つの節目と直近10年に分けることができます。
開業後の30年は、「化学メーカーとしての基礎づくり」の時代でした。愛媛県新居浜で住友肥料製造所として発足した当社は、当初は硫酸や過燐酸石灰の製造を行っていましたが、その後、新技術の導入・開発に積極的に取り組み、アンモニア、硝酸などの工業薬品へと事業領域を広げ、化学メーカーとしての基盤を固めていきました。
「住友化学100年の歩み」と題した冊子(PDF)と映像をつくりました。是非ご覧ください。
次の30年は、「総合化学メーカーへの成長」の時代でした。当社に染料・医薬などのファインケミカル事業をもたらした日本染料製造との合併が1944年、農業化学事業の端緒となった「ピナミン®」の発売が1953年、大型農薬「スミチオン®」の発売が1962年。そして、1958年には愛媛の大江地区にエチレン、ポリエチレン工場を建設し、石油化学事業に進出。当社の主要事業が出揃いました。
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1970年代に入っての30年は、「全事業の積極的な国際化」の時代でした。この時期には、オイルショック、円高不況、バブル崩壊と外部環境の激変が続きましたが、当社はそうした社会の変化に対応するため、シンガポール石油化学計画や、農業化学事業、新設した情報電子材料事業といったスペシャリティケミカル事業での海外展開など、すべての事業で積極的なグロ―バル化を進めました。
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直近のおよそ10年は、「グローバル経営の深化」の時代。2000年代に入るとメガコンペティションの様相は一段と強まり、2004年度からの中期経営計画では「真のグローバルケミカルカンパニーを目指して」をテーマに掲げました。これに沿って、ラービグ計画や情報電子関連事業の拡大など、グループをあげてグローバル化の推進に努めた結果、当社の連結海外売上高比率は2011年3月期に50%を突破し、海外生産高比率も40%を超える水準となりました。そして、次の100年に向けて総合化学メーカーとして成長を続けていくため、新たな価値を生み出す「創造的ハイブリッド・ケミストリー」という考え方のもと、次世代事業の育成に注力しています。
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